井上久助とは、江戸時代、新発田藩と会津藩との間で起きた「塩止め事件」において、全くの潔白ながら、あえて一切の罪をかぶって新発田藩の窮状を救った「烈士」です。
10月10日とは、井上久助の命日です。
講演は、前新発田市文化財審議会委員長の平山靖夫氏です。新発田の郷土史研究の重鎮でいらっしゃいます。
また、この日は、久助が「潔白」であることから、真っ白な 「潔白まんじゅう」をふるまいます。檀家の菓子老舗、中村屋さんに作っていただきました。
参加費500円。定員50名です。お申し込みは、法華寺まで。
法華寺(新発田市中央町1-4-10 電話0254-22-2981)
よろしくお願いします!
【井上久助 早わかり】
昔、会津藩からはロウを、新発田からは塩をと、商人同士の交易が行われていましたが、ある時、それが途絶えてしまいました。会津は、「外様の分際の新発田が、親藩たる会津へ塩を送らないとは何事か」と、藩のお取り潰しになりかねない勢いで、新発田藩へ迫りました。
その窮状を救ったのが井上久助です。父の代から初代溝口秀勝侯への恩義を感じていた久助は、罪の一切は我にあり、ということにして、罪人として会津へ送られました。
会津藩も、久助が犯人でないことを十分に知っていましたが、あくまで自分の罪であると言い張る久助には抗しきれず、真っ赤に焼けた銅板の上を歩かせる刑罰に処しました。久助は、銅板の上で焼かれながら、舞を舞ったそうです。
1658年10月10日、関所のあった新発田の山内付近で、久助は処刑されました。遺体は、罪人と扱われたため新発田の城内に入ることができず、新津(今の新潟市秋葉区)の日蓮宗妙蓮寺に葬られました。
昭和3年、1928年に法華寺に碑が建立されました。ようやく有志により、久助は新発田へ帰って来たのです。